その次の季節
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bialystocksのボーカル・ギターである甫木元空さんは、自身のルーツである高知の土地の歴史を探るなかで、ビキニでの被爆者に高校生が聞き取りを行う取り組みを知った。当初は証言者を撮影する立場としてその場に居合わせただけだったが、証言する者と証言を撮る者の間にある越えがたい距離——当事者ではない自分がこの記憶にどう関わりうるのかという問い——が、やがて一本の映像作品へと形を結んでいく。20年12月、ドキュメンタリー映画『その次の季節 高知県被曝者の肖像 遠洋漁業の記憶2020』が高知県内で発表され、21年6月には須崎で展示が行われた。本書は、その展示内容と、展示が向き合ったビキニ被曝の実相を追求する取り組みを伝えている。
タイトルの『その次の季節』は、須崎出身の詩人・大崎二郎による同名の詩集(1953年刊)から取られている。太平洋戦争で中国大陸に動員され復員した大崎もまた、自らが直接の当事者ではない者たちを繰り返し描いた詩人だった。土佐藩の圧政から逃れようとした男、ビキニの核実験で被曝し、被曝者というレッテルにまとわりつく偏見に苦しんで自死した少年——大崎は叫ぶのではなく、当事者にしか分かり得ない諦めを含んだ怒りとして、これらを言葉にした。当事者ではない者がいかに他者の痛みを「代わりに」描き、なおかつその声を奪わずにいられるか。甫木元さんが大崎の詩集からタイトルを借りたのは、この課題が半世紀の時を超えて自分自身の映画制作の課題と重なったからだろう。
大崎の詩「海」には、雪とともに降りしきる落葉を、空を仰がずただ黙って掃き清める老僧が登場する。「掃きあつめた落葉は/再び風にまいたち/それでもだまって掃いている」——大崎はここに「生きる、とはそういうことかもしれぬ」と結んだ。本書の写真部分にも二度、海が登場する。近づいて見れば、ひとつとして同じ波はなく、波の下で何が起きているかを覗くこともできない。これは単なる詩的な比喩ではなく、聞き取りという行為そのものの限界を指し示す図として機能している。被曝者に話を聞いても、語りはひとつとして同じではなく、被曝の瞬間から今この時までに彼らの心身に起きたことのすべてを知ることはできない。残されているのは限られた断片にすぎない。須崎での展示に協力したアーティストとの対談で、甫木元さんは「『わからない』を前提に、今を生きている自分は何をすればいいのかを考えるのが必要」と語っている。この言葉は、海の比喩を抽象的な詩情から、具体的な制作倫理——分からなさを認めた上でなお断片を並べ、記憶に向き合う姿勢——へと引き下ろすものだ。
店主である私自身が詩の本屋を始めたきっかけも、谺雄二さんらハンセン病患者の詩を読んだことだった。ビキニ被曝とハンセン病は、原因も構造もまったく異なる——前者は核実験による環境被害と国家による隠蔽、後者は隔離政策による差別である。両者を安易に同一視するつもりはない。しかし、当事者ではない者がその記憶にどう関わり、風化に抗いうるかという一点においては、両者は交差する。甫木元さんが被曝者本人ではなく「さらにいくつもの次の季節を生きる者」として自らを位置づけたように、この本を紹介する私自身もまた、被曝者でもハンセン病者でもない、次の季節の側から詩を読み継ぐ者にすぎない。
